SAUDI EXPAT

1999.07~2004.05
4年も経つと事務所も緑で一杯

1. 1999年7月アラビア湾の朝日

1999年9月現地に着任した時5号機の鉄骨が発電所建設を告げていた。
サウジアラビアの太陽は気まぐれだ。
コーランの響きとともに、アラビア湾を柔らかいオレンジ色に染めた太陽は、1時間も経たない内に、自らを黄金食に変え、体操をする我々の右の頬を刺してくる。
事務所に木を植えよう植えようと着任1日目のラジオ体操の時に所長に言われた。

2. 1年経って憩いの場となった中庭

一人二役して少ない人数で仕上げて赤字を抑えよう、そんな決意は、専攻プラントのクラヤ発電所と全く同じ変わらぬサウジアラビアのお客様の性格と、我々の不得手な点を補ってくれるだろうと組んだ米国のパートナー会社の期待外れな行動でどんどん崩れていく。
サイト内の人は除夜の鐘を一人づつついてもつけない人が出る程増え事務所には入りきれなくなり、2000年の秋に新しい事務所が出来た。
同時に旧事務所と新事務所の壁と壁に包まれた小さな空間が生まれた。よし、ここに緑を作ろう、現場からやって来た時に一息つけられる場所を作る事になった。
着任から1年が過ぎていた。
名前はコノコーフィス(Concocorfiss)、和名は分かりません。
サウジアラビアの太陽と欠かさぬ水やりで1年間に1.5mは成長するそうだ。
砂地を掘り起こし腐葉土に入れ替えた、1mに満たない若木が事務所の屋根を超えるまでには、このプロジェクトを仕上げて帰国したい、そんな思いを抱きながら所長達と一緒に植えた。
ハイビスカスも並べて植えた。1年経ったら、芝生が覆い、コノコーフィスの木の下はベンチが据え付けられ語らいの場になった。
ハイビスカスの花も開いた、赤いハイビスカスは太陽の光を浴びて真っ赤に輝き、日が沈むと萎んでいった。
黄色いハイビスカスは月の光のしたでも大きな花びらを開いていた。ハイビスカスが咲いた2001年夏に5号機は、併入し電気を送り始めた。

3. トイレを這うブーゲンビリア

ハイビスカスで気を良くした所長始め私たちは、事務所から中庭に入るところにブ~ゲンビリアのアーチを作る事とした。
ケーブルトレーの廃材でアーチを作った。ブーゲンビリアを左右に2本づつ植えた。元気がなく植えてから1年経っても1個の花も咲かない。
その2002年の夏までに6号、7号の発電が開始していた。私はブーゲンビリアの花を見ることなく、帰国した。
2004年の5月現地2台目の所長からメールが届いた。当時私達が可愛がっていたブーゲンビリアに花が咲きましたと写真が添えられていました。

4. 4年過ぎて屋根を超えたコノコーフィス

時が必ず解決する。三菱で完成出来なかったプラントはない。この言葉を信じたかったが当時は本当に完成するだろうか、私は帰れるだろうか、夜中に目が覚めキャンプの天井を見つめていると、自身は薄らぎ不安の方が強くなっていった。
コノコーフィスの下のベンチに座り当時を思いだしていた。
サウジアラビアに2004年に再着任し現地を離れるタクシーの中から後ろを振り向くと玄関前の木が見えた。
植えてから4年事務所の3.1mの屋根を見下ろす程に成長していた。
同じ時期に植えた隣のお客様のコノコーフィスは1mにも満たなかった。”時が解決したのではない、そこに解決しようとした人がいたからだ”、「月の砂漠の夢と現実」の講演会での所長の言葉が蘇ってきた。